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2 「健康」とは:(3)「ヒトとして生きる」ために(3)

「家族」に単身世帯(おひとりさま)が増え、

多くの役割が他のところへと移転していきました。

移転された方が全て受け止めることができればよかったのですが、

そうはうまくいかなかったようです。

 

イントロダクションでも紹介したように、

病院は病床もスタッフも足りなくなりました。

骨量・筋力低下といった長期入院のデメリットも明らかに。

そこで日本は諸外国と比べて遅れながらも法律を作り、

行政の指導のもと「早期離床」へと舵をきりました。

 

退院させて、家族のもとへと戻すはずだったのですが。

単身世帯では、誰も退院後援助をしてくれる人がいません。

「それならもっと大きな社会である

地域社会で援助すればいい」と考えられましたが、

地域社会も同じように困っている人ばかりで、

「援助する側」にまわれる人がはるかに少なかったのです。

 

「援助する側」の補助として、介護制度(介護保険制度)は作られました。

でもいざ運用してみると、

予算に対して利用者(困っている人)が多すぎました。

介護資源を効率的に配分するために、

介護度の高低を分類していますが、利用者の満足には程遠いですね。

 

価値観を含む社会の変化により「家族」が変化し、

明らかになってきた地域・社会の問題。

一通りはここで確認できました。

これら一連の流れは、法制・行政パートでも出てきますからね。

 

ここでマズローの基本欲求3段目を確認してみましょう。

帰属、受け入れられといった「社会的欲求」が位置しています。

一番身近な(小さな)社会である家族でイメージしてみると、

「家族」に属していること、

「家族」に受け入れられていることに代表される欲求ですね。

 

以前(戦後)の家制度のもとでは、

あまり全面に出てこなかった欲求かもしれません。

もちろん1段目・2段目がみたせなければ3段目の欲求は出てきませんから、

「生きることに一所懸命」であれば、

社会的欲求に到達しないのはある種当然ですね。

 

でも、1段目と2段目さえみたせれば。

家に帰れば誰かがいて「おかえり」と出迎えてくれました。

家に誰もいなくとも、

近所(地域)の誰かが「帰りか、気をつけろよ」と声をかけ、

見守っていることが当たり前の関係でした。

一番小さな社会「家族」に加え、「地域」社会にも受け入れられ、

所属していることが子供心に分かりやすかったのです。

むろん同世代も多く、子どもは集団を作り、

遊びの中で「(子供なりの)社会」を知っていきます。

社会的欲求をたやすくみたせる環境にあったこと、イメージできますね。

 

ここで現在を見ると…かなり状況は変わりました。

帰宅しても誰もいない。

地域での声掛けも性別や年齢いかんで「不審者!」になりうる状態です。

集団での遊びの時間は、個人の塾通いの時間に姿を変え、

同世代間で社会性を身につける機会はぐっと減りました。

それでも「誰か」に「受けいれられたい」

(自分の言うことに耳を傾けてほしい、反応してほしい、

出来ることなら賛同してほしい)という思いから、

ツイッター等のソーシャルメディアや

各種ゲーム(ソーシャルゲーム、オンラインゲーム等)に

居場所を求めてしまうことにつながるのです。

 

社会的欲求も以前の形から変化しつつあることを、

ちゃんと意識しておいてくださいね。